W124の歴史 1985〜1989

平成カーラバーズの代表こと、無糖、微糖、加藤です☆彡笑

今回は僕の愛してやまない

メルセデス・ベンツのW124(124シリーズ)についてです。

当初はミディアムクラスという名称でしたが、のちにEクラスに改称され

日本では1986年から1995年まで発売されていました。

W124(124シリーズ)とは


1984年11月26日(月)スペイン・セビリアで発表され、

翌1985年からヨーロッパを皮切りにデリバリーが開始されました。

発表されたのは

「200D」、「250D」、「300D」、「200」、「230E」、「260E」、「300E」で

末尾のDはディーゼル仕様、Eはインジェクションを表します。

また「200」はキャブレター仕様となっています。

ちなみに同時期に発売されていた201シリーズにも

「190」(日本未導入)というキャブレター仕様が存在していました。

排気量は2000ccであるが、以前に発売されていた123シリーズに

「200」があったため「190」となったといわれています。

W124はコードネームで、

頭文字のWはセダン、Sはステーションワゴン、Cはクーペ、Aはカブリオレを表しています。

当記事では124シリーズはセダン・ステーションワゴン・クーぺ・カブリオレを指します。


前期型(1985-1989)


1985年10月

ダイムラーはフランクフルトモーターショーでステーションワゴン(S124)を発表、ボディタイプがセダンとワゴンの2種類になりました。

1986年

日本では2.3リッター直列4気筒SOHCエンジンを搭載する「230E」、3リッター直列6気筒SOHCの「300E」、3リッター直列6気筒SOHCディーゼルターボの「300DT(北米と日本のみ)」の3モデルが発売されました。

1987年3月

ダイムラーはジュネーヴモーターショーでクーペ(C124)を発表、

ボディ側面の腰下以下にプロテクトパネル(通称サッコプレート)を装着したデザインですが

ミラーはボディ同色ではなく、メッキモールもないものになっています。

1987年10月

ダイムラーはフランクフルトモーターショーで「4MATIC」(4輪駆動)を発表、同時に「300DT」も発表したが、すでに北米と日本には導入済でした。

1987年

日本では「260E」と初となるステーションワゴン「230TE」が発売されました。

1988年10月

ダイムラーはパリモーターショーで「200E」と「250DT」を発表したものの、「200E」はすでにイタリアに導入済であり、「250DT」の2.5LターボディーゼルエンジンはW201に搭載されていました。

1988年12月19日

124シリーズの生産が100万台を超え、記念に「200E」が時のバーデン=ヴュルテンベルク州首相夫人であるユーソラ・シュペートにプレゼントされ、慈善団体へ寄付されました。バーデン=ヴュルテンベルク州の首都はシュツットガルトです。

一説によると夫の州首相ロタール・シュペートが

経営難のポルシェAGとダイムラーAGの仲介をして結果的に500Eが誕生したといわれています。

というのは州の財政は企業からの税収によるためポルシェAGの破綻を避けるために動いたとか。ただポルシェAGにはVolkswagenAGがいるので実際のところは分かりません。

1988年

日本ではクーペ「300CE」が発売されました。



写真提供:Mercedes-Benz AG


さいごに


細心の注意を払っておりますが

記事に誤植等がある場合にはコメントしていただけますと幸いです。


編集後記


今回は124シリーズの前期について書きました。

ちなみにマイナーチェンジは各社で呼称が異なるようです。

ダイムラーではMPFやMopf(Modellpflege)といい、

BMWはLCI(Life Cycle Impulse)というらしいです。

なのでダイムラー的には1回目のマイナーチェンジは「MOPF1」というっぽいです。

次回は中期について書く予定です。

きょうはこのへんで、じゃーB☆彡

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